インターネット

月曜日, 10月 31st, 2011

近頃はツイッターなぞというパソコン井戸端会議が現れて、これによると、どんなニュース報道よりも早いつぶやき情報が得られるそうです。

まあ、ツイッターほどではなくても、通常のインターネット情報でも、テレビなんかより、好きな時間に好きな情報が得られます。

さてそこで、バンコクの洪水です。

今度12月のセミナーに来る事務所のことが心配で、安否のメールを出したいのですが、そんなに頻繁に出しても向うも迷惑だろうし、ということで、いきおいインターネット情報をチェックすることになります。

こんな時は、インターネットのニュース報道より、現地の人のブログが役に立ちますね。

バンコクの場合も普段から良くチェックしている飲食店経営者のブログがありまして、「前の道はまだ乾いてます」「家から20m先では浸水が始まりました」「近所の人はここまでは水は来ないと噂しています」などと、ピンポイントの生々しい情報が得られます。

そこへいくとインターネットのニュース報道は全体を把握するするためもあってか、生々しさには欠けますね。その分、政府の見解とか洪水の全体予想とかを把握するには良いですが。

今回の洪水に対する評論で、なるほどというものもありました。

これはタイ学を専攻する、とある外語大学の名誉教授のブログです。それによると、タイ、特に今回のチャオプラヤー川流域というのは昔から洪水の良く起こる土地だそうです。

というより、この流域では昔から「浮き稲」を栽培しており、これは雨季の初めに発芽を始めて、水量の増加とともに背丈が伸びて、収穫は雨季の終わり頃に舟を使って行うものだったようです。

したがって、洪水の季節というは収穫の季節でもあったわけで、水が出ることについて、タイ人は我々日本人ほどの警戒感は伝統的に無い、というものでした。

ところが、最近は稲作地帯が工業地帯へと急速に姿を変えているために、洪水が大問題になったのだそうです。

うーん、なるほどね。

普通のテレビや新聞にこんな評論は出てませんよね。

即時の情報からユニークな評論まで、インターネットは情報の宝庫ですね。

在来のテレビや新聞の将来はどうなるんでしょ。

映画「桜田門外の変」

月曜日, 10月 24th, 2011

「桜田門外の変」という映画を見ました。

1年くらい前の映画で、レンタルDVDです。

幕末に桜田門の外で井伊直弼が殺された事件ですね。

幕府の大老が浪士に暗殺されたということで、幕府の屋台骨を揺るがし、悪名高き安政の大獄が終わりを告げて、時代が大きく倒幕維新へと動き出したという、あの事件です。

で、映画は今までさんざん取り上げられたテーマを、襲撃側の水戸浪士の観点で捉え直そうとするものです。

井伊直弼もそれなりの信念を持った男として描かれています。

安政の大獄が吹き荒れる中で、藩主斉昭の蟄居という処置に憤った水戸勤皇派の面々が脱藩して浪士となり、井伊直弼を襲いました。

何人かは襲撃時に死亡、あるいはその時の傷が原因で自刃します。

無事生き残ったものは、約束された薩摩の決起を信じて京へ上りますが、薩摩では藩主の死亡交代で保守派が息を吹き返し、決起の約束は反故になります。

加えて水戸では、蟄居が解けた斉昭が浪士を褒めるどころか、幕府高官の殺害に憤り、重罪人として浪士捕縛の命を出します。

そして、浪士は一人また一人と捕らえられて打ち首になります。

浪士はおそらく明治後は名誉が回復され、顕彰されたのでしょう。

組織の都合に翻弄された犠牲者、ですね。

現代にも通じる話です。

だから組織嫌いになったのかなー(笑)。

日曜日の朝

水曜日, 10月 19th, 2011

日曜日の朝はゆっくり起きて、と思うのですが、歳をとると10代、20代の頃のように、昼まで寝るというような離れ業(?)はもうできませんね。

せいぜい、いつもより1時間くらい遅く起きる、という程度です。

そういえば、会社に勤めていた30代、40代の頃は日曜日の方が早く目が覚めました。

会社へ行く月曜日からは再び朝は眠くてしょうがないんですがね(笑)。

で、日曜日の朝ですが、1時間くらい遅い、といっても6時半頃ですから、家の者は起きてきていない。

一人で朝食を作って(何故かたいていホットケーキ)コーヒーを淹れ、新聞をゆっくり読みながら、CDを聞きます。

やっぱり朝はクラシックが良いですね。

朝から石原裕次郎や美空ひばりは合わないですし、ビートルズなんかもやかましい。

やっぱモーツアルトですかね。

もっともモーツアルト以外は余り持ってないですが。

考えて見ると、朝食を採りながらモーツアルトを聞く、なんてのは、贅沢ですね。

モーツアルトの時代には音楽家というのは貴族の召使いで、モーツアルトが作曲した多くの室内楽は王侯貴族が食事やパーティーをする場合のBGMだったとか。

あの頃はCDなんぞは無かったので、生の音楽を演奏するしかなかったのですが、我々はCDのお陰で往時の王侯貴族のように、モーツアルトの音楽をまさにBGMにして朝食を楽しむことができるのです。

これほどの贅沢があるでしょうか。

平成23年改正の不正競争防止法が12月1日から施行されます。

木曜日, 10月 13th, 2011

平成23年改正の不正競争防止法が平成23年12月1日から施行されます。その内容についてポイントを絞ってまとめました。

こちら≫でご確認ください。

石原慎太郎

火曜日, 10月 11th, 2011

石原慎太郎。東京都知事、というより私にはあの石原裕次郎の兄貴ということの方に馴染みがありますが。

で、その石原慎太郎です。

この人の日頃の主張は余り好きではないですが、先日ふらりと立ち寄った本屋に、「新・堕落論」というこの著者の、売れ筋らしい新刊本が積んでありまして、ついその気になって買いました。

なんせ、東日本大震災を「天罰」と言った人ですから。

そういえば、件の本の副題は「我欲と天罰」とあります。

何故、好きでもない人の本をわざわざ買ったのかって?

その理由は、断片的な発言を捉えて「余り好きでない」と言っているのはアンフェアではないか、この辺りでまとまった彼の考えを聞いて(読んで)判断しようと思ったからです。

彼は近年の若者や家族の自堕落な現象を嘆きます。

これは、義務を忘れ、何をやっても自由、の風潮の下で起きたもので、その元凶は自由や権利のみを謳い、義務について定めるところの少ない現憲法のせいである、と断じます。

昔は節度があった、と。

そして、外交的・軍事的にアメリカに従属していることが、世界、特に中国等から馬鹿にされる原因で、日本も自前の軍隊を持って断固とした対抗措置をとるべきである、と。

つまり、国民が危機感を無くして「我欲」に走っていると「天罰」が下る、と。

彼はしきりに戦前を懐かしみます(と思う)。が、本当にそうでしょうか。

戦前には義務・義理・人情・節度があった、と彼は言いますが、義理・人情に絡んだ悲劇も多くあったのではないでしょうか。

節度、というのも、権威に対してものを言わない、言わせない、ということだったのでは。

義務にいたっては、徴兵に応じる義務があって、事の是非を論じることなく、有無をいわさず徴兵される義務があった。

石原慎太郎が言うような、戦前はそんな良い社会だったのでしょうか。

彼は戦後の、彼曰く自堕落無節操な社会の元凶は、押し付けられた現憲法にある、と主張しますが、現憲法ほど実際にはその実現を妨げられているものは無いのではないでしょうか。

我々はここらでもう一度現憲法、日本国憲法を読み直して、本当に自堕落無節操な社会を目指しているものなのか、検証する必要があるようです。

監督解任

木曜日, 10月 6th, 2011

我が(?)中日ドラゴンズの落合監督が今期限りということになりましたね。

このニュースを聞いたときは、もうドラゴンズのファンを止めよう、野球は金輪際見ないぞ、と思ったほど怒りがこみ上げてきました。

確かに一部で言われていたように、インタビューは無愛想で、マスコミ受けは悪かったでしょうね。

私の周りの中日ファンでも、オチアイは嫌い、と言う人が何人かいます。 気配りが、ある種最高の美徳とされる日本では無理もないかもしれません。

これがアメリカだったらどうでしょうねー。

就任以来、中日歴代の監督で最高の成績を収め、今年も優勝争いの真っ只中、という監督を解任しますか?

成績が悪ければ非情なほどに即解任。その代わり、成績が良ければ誰も文句を言わないし、それなりの名声と収入がもたらされる。これがアメリカですよね。

我々ファンは中日ドラゴンズに何を求めているか。

もちろん勝利ですよ。

どんなにファンサービスやマスコミ受けの良い監督でも、早々と優勝戦線から脱落したとしたらどうでしょう。

もう野球なんか見ないですよ。少なくとも私は。

ファンが贔屓の球団に対して求めるもの、それは勝利であり、常に優勝戦線に絡むことです。

そんなファンの根源的欲求(?)に就任以来毎年応えてくれた監督を解任するんですか。

この辺りで新風を、ということだったらしいですが、何ですかその「新風」というのは。

まさか勝ち慣れ過ぎたから、ここら辺りで最下位に一度戻ってやり直しを、なんてことじゃないでしょうね。

次期監督に内定した高木守道は嫌いではないので、最初の怒りはやや減殺された感がありますが、「契約社会なんだから(解任されても)当然」という落合監督の発言の、なんとオトナ。

我が中日ドラゴンズがこれを境に新風を吹き込まれた田舎球団に後戻りしてしまわないことを切に願います。

河村名古屋市長

月曜日, 10月 3rd, 2011

河村名古屋市長ですが、庶民的な雰囲気で人気がありますね(と思う)。

その庶民的人気の一つに、名古屋弁を駆使する(?)というのがあるかもしれません。

土地の方言を使えば親近感は一般的には高まりますからね。

大阪弁と違って、名古屋弁は従来、標準語に対してある種の劣等感がありましたから(つまり田舎言葉としての)、それを公の場で堂々と使う市長に快哉を送りたい気持ちは判らないでもありません。

が、一昔前ならいざ知らず、最近ではこの地方でも転勤等で他の地方の出身者が増えていると思われ、そんな情況で、おそらく他県出身者に良く判らないだろう思われる名古屋弁を公人が使用することは、あまり関心しないなー、と思います。

つまり、公人しての市長は、市民に対して判りやすい言葉で自分の政策を述べる責任があると考えるからです。

米国を引き合いに出して申し訳ないですが、彼の地の大統領や国務長官らが演説する場合には、ゆっくり丁寧で明瞭な発言を心がけているようです。

努力しても方言が抜けない人はいますし、だれでも多かれ少なかれ方言のアクセントを引きずってはいますが、そうであれば余計、名古屋弁でぺらぺら喋るのではなく、なるべく標準語に近い言葉でゆっくり誰にもわかる表現で話すことが市長には求められていると思いますが、いかがでしょうか。