役人の給料

水曜日, 11月 30th, 2011

無駄を省こう、行政改革、というと、すぐに人件費が槍玉に挙げられるのは何故でしょうね。

役人の給料は高い、だからこれを低くするのが行政改革の第一歩というわけです。

確かに役人の仕事振りをみると、そういわれても仕方が無い部分も確かにありますがね。

毎日同じことの繰り返しのようなルーチンワークをやって、決まった時間に帰って、休みもきちんととって、それであの給料かよー、という。

まっ、ルーチンワークについては彼らの仕事の大半は決められたことを正確に遂行することですから、しょうがないですね。

決まった時間、休みというのは、まあむしろ、民間が働きすぎなのではないでしょうか。

そんなことを言っていては世界に乗り遅れる、なんて意見もあるでしょうが、ここらで我々は何のために働くのか、をもう一度考えてみる必要があるようです。

だいたいが真夜中まで働くのは異常ですよね。人間の身体的リズムに反していると私は思います。

給料が高い、というのは相対的なものでしょうから、では我々民間の給料を役人の給料に合わせたらどうでしょうか。

民間が低くなったから、役人の給料も低くではなくて、民間の給料を見合うように上げるということです。

それに役人でも、一部の高級官僚は外郭団体や利害関係のある民間会社へ天下りして甘い汁を吸っているでしょうが、一般の役人がそんなに甘い汁を吸えるということもないのではないでしょうか。

役人の給料を下げる云々よりも、高級官僚の天下りの徹底禁止、不要な外郭団体の仕分け、こちらの方がずっと大事だと思われますが、いかがでしょう。

授業の前後にピッ

月曜日, 11月 28th, 2011

私が10月から名工大の機械工学科計測コースで制御工学の単位聴講生になっていることは以前に書きました。

わずか2単位の聴講生ですが、ICカードの学生証をくれました。これは図書館とか生協での書籍等の購入に使うそうです。

残念ながら今のところ、そういうものに使う機会はありません。

「そういうものに」と申し上げたのは、それ以外に使うところがありました。

なんと、講義聴講のための教室への入退室時に、件の学生証を読取り機にかざして「ピッ」という感じでやるのです。

「さすがに昔とは違うわ」と最初は感心したのですが、考えてみれば、これでは授業がサボれませんね。

全共闘世代としては、ここまで学校に管理されて良いのか、という思いが湧くのです。

先回書いたように、授業中に爆睡している若者を見ると「親が泣くぜ」と思うくらいには人生経験を積んできております。

しかし、まあそれは「俺も若い頃は親の有り難味がわかんなかったけど…」という感傷から出たもので、だからといって、授業への出席を強制すべきとは思っていません。

むしろ、大学で、こんなことまで管理されて今の学生諸君は良く我慢しているし、そもそも大学にそんな権利はあるのか、と思うわけです。

授業に出る出ない、なんてのはこっちの勝手ではないでしょうか。

最近、開かれた大学、とか言って、学生に先生の授業評価をさせる大学もあるそうで、ということは、大学はサービス業の一種なのだと考えているフシがあるようですが、ならば余計、そのサービスを受けるか否かなんてのは、需要者である学生が決めることですよね。

だいたいが、大学にきてまで、授業に出ることを管理される、つまり時間を管理されることはないのでは。

結果は、試験なり、レポートなりで出せば良いのであって、授業に出る出ないの決定は学生の専権事項ではないか、と思うわけです。

今の世の中は大学生になってもこのように自主性を摘み取られているのですから、これではいくら英語とか国際化とか騒いでも、世界に伍して活躍する人材は生まれないのではないかと危惧しますが、いかがでしょう。

TPP

水曜日, 11月 23rd, 2011

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)というのが話題になっていますね。

新聞なんかを読むと一見、世界市場を目指す産業界と、関税障壁による保護という既得権にしがみつく農業団体との利害対立、というのがTPPに対する賛否の基調になっているかのようです。

そして、新聞を更に注意深く読むと、TPPは農業に限らず、保険や医療から食肉の輸入規制に至るまでの広い範囲に影響を及ぼすものであるらしいです。

ところがこのように対象範囲を広げても、常にそこにあるのは、国を開いて自由経済の下で創意工夫を加え世界に伍して戦うことによって経済の活性化を図るのか、それとも、既成の保護の下でガラパゴス的な小国として生き残るのかの選択が、まさにTPPに対する賛否のスタンスである、ということです。

私はまあどちらかというと、ガラパゴス的な生き残り方を選択しますね。

というのは、以前にも申し上げたかもしれませんが、中国に抜かれるつい最近まで、世界第二位のGDPだったのに、ちっともその恩恵を受けているという実感が無いこと、こんな小さな国から世界的大企業が何社も生まれているのに、それが我々の生活向上に即座に結びついているという実感が薄いこと等によります。

つまり、国土と同じ規模の地味な国として生きていけば良いのではないか、と思っているのです。

ブランド米の開発を競ってそれを世界中で売りまくって生きていくよりも、普通の価格で普通に米を買ったら、それが丹精込めて農家が作った安全で美味しい米だった、という社会の方が私は好ましいですがね。

いかがでしょうか。

ハーフマラソンとフルマラソン

月曜日, 11月 21st, 2011

先週の日曜日に揖斐川マラソンがありました。

昨年と同じハーフを走りました。

20歳台(女)一人、30歳台(男と女)2人、40歳台(男)1人、50歳台(男)1人、60歳台(男)1人というのが、我がチームの構成でした。60歳台というのが私ですわ。

結果は一位が40歳台で、これは二時間を切りました。20歳代と30歳代は2時間20分台、そして60歳台が2時間30分台、50歳台が2時間50分台という調子でした。

何人出走したのかは知りませんが、私の順位は2474位です。

私の前に2473人もいるんです。

ちょっとがっくりきますね。

しかし、まあこうなると、順位なんてどうでも良くなります。

とにかく完走することが目標になります。

明くる日はある程度脚が痛くなりますが、まあ心地よい痛さですわ。

初めて名古屋シティマラソンの10Kmを走った時には明くる日に地下鉄の階段を降りられなかったですから。

俺もまあまあ走れる身体になったわい、と密かに喜び、以前からライバル(?)ランナーと目している同業者にメールすると「完走おめでとうございます」と出だしは褒めてくれましたが、続いて「私は先月ドイツの代理人と一緒にニューヨークマラソン(もちろんフル)を走りました。さすがに世界一の規模だけあって楽しかったですよ。ハーフをいくら走ってもフルを走れるようにはならないので、早いとこフルの練習を開始することをお奨めします」ときた。

ふーん、ハーフの延長上にフルは無いのかー。

何か質的に違うんですかねー。

まっ、確かに5時間くらいも走ると、栄養補給や足腰の一段上の鍛錬、なんかが必要だとは思いますが…。

私はフルマラソンを走ることが目的ではありません。

ハーフを走った後は何故か腰痛も治って(ちなみにゴルフをやると腰痛になります)、身体の調子が良いのです。

つまり健康のためにやっているのです。

とは言ってみたものの、うーん、ランニングをやっている者として、いつかはフルを走ってみたい、という願望は、確かにありますねー(笑)。

靴の中敷き

水曜日, 11月 16th, 2011

靴の中敷き、なんて久しく忘れていたアイテムですね。少なくとも私は。

ところが、私の革靴がそれなりのメーカのもので、それなりの価格だったのに、どうも足に合わないんですよ。

私の足は母親の系統で、広幅かつ甲高なので、いつも靴選びには苦労します。

で、件の革靴なんですが、靴底が真っ平らで、したがって足裏の土踏まずの下方に空間が生じるわけです。

これは疲れますね。

私は基本的に、運動がてら歩くのを旨としていまして、地下鉄の二駅や三駅なら、時間がある限り歩いてしまいます。脚はそれほど弱くはない、と自負しています。

ところがその革靴で歩くと、直ぐ疲れてしまうのですよ。

靴底が真っ平ら、だからなのではないか、とは直ぐ気がついたのですが、しばらくは妙案が浮かばず、「こんな革靴を作りやがって」と靴メーカを呪っておりました。

ところがふと、そういえば昔は「靴の中敷き」なんてのがあったなー、と思い出しました。

考えてみると、革靴というのはその名の通り、革でできた靴ですから、足裏に沿った湾曲を靴底につけるのは難しいかもしれませんね。

最近は純粋(?)な革の靴、というのは余り履く機会がなかったので中敷きのことなんか忘れていたのですが。

そこで、さっそく近くのスーパーの靴売り場へ行ってみました。

そんなものがあるかと店員に訊いてみると、あっさりと「あちらに沢山ありますよ」とのこと。

昔は中敷きも皮製のものがあった様な気がしますが、今は樹脂製でいろんな種類のものがありました。

そのうちで、甲高の私にも合いそうな凸部や、足裏のつぼを刺激するという凹凸をつけたものを購入し、さっそく革靴を履いてみました。

するとどうでしょう、全く疲れなくなりました。

やはり、土踏まずがしっかり支えられていなかったのが原因だったんですね。

「靴の中敷き」なんてローテク(?)製品の効力を思い知った出来事でした。

再び英語について

月曜日, 11月 14th, 2011

相変わらず、英語と苦闘しております(笑)。

海外で事務所を立ち上げる場合、どうしても英語が必要なので少々焦っておりますが、語学というものは一朝一夕にはいきません。

とは言っても、12月1日にタイIPセミナーをやるので、それまでにどうしてもレベルアップを図る必要があります。

家のテレビではCNNを流しっぱなしにし(往々にして家の者に日本語放送(?)に切り替えられますが)、歩いている時はiPhoneでダウンロードしたCNNヘッドラインニュースを聞く、日本の新聞の代わりにNikkei Weeklyを読む、昔やっていたスピードラーニングの教材を取り出して日常会話を詰め込む、1ヶ月に一回は1時間のマンツーマンレッスンを受ける、業務では否応なく海外の代理人にメールやレターを出す、なんてことをやっているにも拘わらず、未だにリスニングに苦しみ、言いたいことの1/3くらいしか言えません。

まあ、これだけ苦労すると、もっと小さいときから英語を、という声が出るのも判る気がします。

が、そうかなー、という思いもあります。

日本人の英語が下手、というのは、いろいろ原因があるかもしれませんが、私が思うには、日本人は基本的に無口なのではないか、ということです。

つまり、以前にも書きましたが、男は黙って…、という伝統の国なのです。

声高に議論する、主張する、そして議論の中で反論の種はないかと相手の言うことを注意深く聞く、なんて伝統は無い国なんです。

そして、幼稚園から大学院まで、日本国内にいるなら、本当に最先端な部分を除いて、英語なんか知らなくてもちっとも困らない、という環境。

こんな国で、幼稚園から単に英語だけを教えても、大して情況は変わらないのではないでしょうか。

それよりも重要なことは、まず、日本語できちんとディベートができるような訓練を小さいときからする、ということでは。

むやみに英語だけを習ったところで、自分の意見をきちんと言葉に出して発する、という訓練を受けていなければ、所詮会話は成り立たないのです。

そのためには、先生の意見を一方的に聞く、という授業形態を改め、わいわいがやがやと議論するような授業を行う。そして、中学高校の、あの画一化され没個性の制服を廃止する。

つまり、個性の尊重と議論の振興、これが迂遠なようで、英語力向上の鍵ではなかろうかと思いますが、いかがでしょう。

「中小企業を育てることが日本の未来を…」

水曜日, 11月 9th, 2011

先日、松下幸之助のドラマをテレビでやっていましたね。

家の者が熱心に見ていました。

まあ、私は実業家の一代記は今まで飽きるほど見てきましたから、殆ど、というか、全く見ませんでした。

トヨタ自動車の創業者である豊田佐吉や豊田喜一郎。

日清食品の創業者、安藤百福。

ホンダの創業者、本田宗一郎。

間近くは、先程亡くなったアップルの創業者、スティーブ・ジョブズ。

彼らは、儲けというよりは、世の中に無いものを作ろう、とか、世の中に役立ちたい、とかいう気持ちの方がずっと強かったように思われます。

彼らの昼夜を別たぬ、血の出るような、たゆみない努力によって生み出された成果を我々は享受しているわけです。

だから素直に偉人と呼んでよいでしょう。

ところで、前述した創業者が作った会社は、幸運にも創業者の汗と涙の結晶を元に大きな会社に発展しているわけですが、株式を公開し、大きな会社になると、必ずしも創業者の精神は受け継がれないようです。

それは何故かというと、株式の公開によって株主への配当の義務が生じ、往々にして儲けることが経営者の第一義的な目標になるからだと思われます。

したがって私は、株式を公開している大会社というのは、社会の公器として、その活動は世の中の監視を受けるべきだと思っています。

一方、パナソニックやトヨタ自動車なんかも創業者が始めた時は中小企業だったわけで、結局、本当に新しいものを生み出せるのは中小企業なんだろうと思います。

中小企業の中から第2、第3のパナソニック等を気長に育てること、これこそが行き詰った日本を救う道だと思います。

金のある大企業の要求に応える政治だけをやっていると、日本の未来はないような気がしますが、如何でしょうか。

佐藤繊維の商売三原則

月曜日, 11月 7th, 2011

中小企業家同友会の経営フォーラムで、山形県にある佐藤繊維の、佐藤社長さんのお話を聞きました。

佐藤社長の、商売の三つの原則は、次のようなものです。

 

1.誰にもできないものを作る。

2.売り方を工夫する。

3.これからは中小企業の時代だ。

 

1. については、自分の思いを具現化した、どこにもない糸を作った。そのために工場の職人達の奮起を促し、機械を改造等するして5年がかりで思うものができた。ここで思ったことは、会社に人材がいないわけではない、ということ。会社がその人の能力を発揮する機会を与えていなかっただけであった。

2. については、トラックに新しい糸で織った製品を載せて、奥さんと二人でスーパーの前で売っていたうちは、全く売れなかった。

飛び込み営業をしても全く駄目だった。

日本だと、単なる工場のくせに、という目で見られ買い叩かれた。

そこで、以前、名刺を貰っていた米国のディーラーに連絡を取って、M.&Kyokoのブランドで米国の展示会への出展を果たした。

展示に当たっては、代々受け継がれた伝統で妻の思いを実現しました、のような製品ストーリーをつけた。

多くの引き合いがあり、米国から日本へ逆上陸、という形で日本でも正当な価格での取引が成立するようになった。

現在では糸の製造から小売販売の店までを経営している。

3. については、中小企業だから上場企業のように製品を過剰に作る必要が無い。

したがって、常に最初の販売で売り切れる。

これによって在庫一掃の安売りをしてブランド価値を下げるということがなくなり、希少価値故に正当価格を維持することができる。

いかがでしょうか。

人間、綜合力です

水曜日, 11月 2nd, 2011

歳をとると、身体のあちことにガタが来ますね。

なんて、いうと80歳の人からは「若いモンが何を言うか」と一喝されそうですが。

55歳くらいまでは朝起きてどうとか、目がどうとか、ということは全く無かったのです。

それが63歳になった近頃は、朝起きて直ぐは身体がちょっと固まってますね。ほぐれてくるのに時間がかかります。

それに目も疲れ易いです。

それを少しでも軽減するために、寝る前にはヨガで身体をほぐしておきます。こうすると朝起きた時も比較的体が動かしやすいので。

目に関しては、もう3年以上ブルーベリーのサプリメントを飲んでいます。

おかげさまで、夜のドライブでも目の疲れが無くなりました。

ただ、ドライアイのようなものはあるので、時々目薬のお世話になります。

この調子で体力、視力とも歳とともに衰えていくのでしょうか。

知力はどうですかねー。

私の感じでは、論理力のようなものは若い頃よりもむしろ強化されていくような気がしますね。

計算力は一般には衰えるらしいですが、これは体力との関係が大きいのではないでしょうか。

計算は力づくのものですから、知力というよりは体力の衰えがそのまま出るのでしょうね。

総じて知力は、病気でもしない限り、歳とともに衰えることはないと思われます。

となると維持すべきは体力ですね。

いつも通勤で通る公園では朝から大勢のお年寄り(といっても私とそんなには差がないかも)が太極拳をしておられます。

昔は馬鹿にしていましたが、あのゆったり感は、年寄りの体力維持には理に適っている、と最近は思います。

サプリメントやヨガ、太極拳等、若い頃には見向きもしなかったものの助けを借りて体力を維持しつつ、ますます盛んになる(?)知力と併せて、人間の総合力では日々進歩していこうと思っている、今日この頃です。