医者に殺されない47の心得

水曜日, 6月 26th, 2013

表題の刺激的な題名の本を読みました。

菊池寛賞を受賞した本らしいです。

結論から言うと、すべて鵜呑みにはできませんが、思い当たるところが多々ありますねー。

私も以前からそう思っていたのですが、癌の治療で患部はもちろん、その周囲を広く切除するのですが、こんなに内臓とかを取り去ったら、治るものも治らないのではないか、と。

その通りらしいです。

外科手術で細胞膜(?)なんかが傷つけられると、そこへ癌が侵入して増殖する。

必要な臓器が無くなると患者の負担が大きくなり、摂食排泄等の機能が損なわれるために体力が急速に衰える。

その結果、医者の余命宣告通りに死に至る、ということになるらしいです。

では癌はどうすれば良いか。

原則は治療しないことがベストだ、とのことです。

手術はもちろん、抗がん剤も副作用で苦しむことの方が多いらしいです。

癌になったら、体力をつけて自然治癒するのを待つか、痛みがあるときはその除去(モルヒネ投与等)だけを行って、体力を温存しつつ安らかな死を迎える(手術後の医者の余命宣告より、ずっと長く生きれることが多いとか)。

つまり、癌は手術や抗がん剤の服用によっては治らない、というのが結論らしいです。

その他にも、私が先日来、気にしていた血圧ですが、年を取ると血圧は上がって当然らしいです。

つまり、加齢とともに動脈が固くなるので、末端まで十分に血液を送るには血圧を高くする必要があるとのこと。

高血圧の従前の基準は160以上だったのが、近年は何故か130くらいになっており、これだと中年以上の大部分が高血圧になってしまうとのことです。

まっ、200に近い人は別にして、150や160になるのは必要だからで、これを無理に下げる方が害が大きいとか。

まあ、こんな調子で、ある意味、目から鱗ですが、どっちを信じれば良いか、難しいところです。

毎日気分良く過ごせて、元気に歩くことが出来れば(歩くのが健康に一番良いらしいです)健康診断なんか全く受けなくても良いそうですが(笑)。

父の日

月曜日, 6月 24th, 2013

「父の日」なんてのが出来たのは何時ごろからでしょうね。

昔は「母の日」しかなかったと思うのですが。

「バレンタインデー」に対して「ホワイトデー」なんてのが出来たように、たくましき商魂のなせる技でしょうか。

あるいは最近の若い人は我々の頃よりずっと家族思い(?)ですから、「父の日」というのがあっても良い、ということなのでしょうか。

家族思い、というか、家族の面倒、もう少し具体的には子供の面倒なぞは、私の若い頃は殆どみたことがなかったような気がします。

うちも三人の子供がいるのですが、どうやって大きくなったのか、あまり思い出せないですね。

気の向いた時しか子供とは付き合わなかったような気もするし。特に小さい頃は。

なので、昨年孫が生まれてから、離れたところに住んではいるものの、その成長過程を時々のビデオ映像で(今は便利ですね)観察して、へー、うちの子供たちもこんな風にして大きくなったんだ、なんて今更ながら感心している次第です。

そういうことなので、私は以前から、母親と違って、父親というのは別に子供をそんなにお世話した思いもないので、まっ、死ぬときは、母親と違って、ひっそりとどこかで一人で死ぬのもしょうがないだろうな、なんて思っておりました。

しかしまあ、「父の日」なんてのができて、娘やお嫁さんに贈り物をもらったりすると、その決心も鈍りますなー(笑)。

名古屋は田舎か

水曜日, 6月 19th, 2013

先日東京から来た二人の知人と話をしました。

名古屋も最近は転勤族が多くて、昔のように名古屋弁丸出しの人は少なくなったし(市長を除いて)、名古屋飯として東京へ進出しているものもあるし、着るものや食べるもの、情報なんかも必要なものはすぐ手に入るし、と私が言うと、他の二人が口をそろえて言うには「イヤー、名古屋はまだ田舎だよー」とのこと。

その最たるものは、車の運転マナーらしいです。

無理な割り込みはするわ、黄色信号では当然止まらない、ひどいのは赤信号でも突っ切る。

言われてみれば、私は今年に入って交通事故をやったんですが、矢印のある交差点で、矢印が出たのでOKということで右折したら直進車に当てられました。

向こうが交差点に入った時には確実に黄色だったはずです。

それからは、交差点で矢印が出た後も、用心深く直進車が確実に止まるのを見てから右折するようにしています。

こうやると一呼吸おいてから出ることになるので、せっかちな後続車にプッと鳴らされることがありますが。

ところが東京から来た二人に言わせると、東京では黄色で直進車が当然のように交差点内に入ってくることは無いそうですよ。

つまり、二人が言うには、東京では皆が交通ルールを守るので、地方の人が思うほど都内での車の運転は怖くないらしいです。

それはやっぱり東京はいろんな地方の人が出てきているので、順法精神が高いのではないか、とのこと。

つまり、いろんな出自の人が円滑な暮らしを営むには、それぞれの習慣を捨てて法律を守るということが必要なのでは、ということでした。

そこへ行くと名古屋はまだ、黄色はOKというローカルルールでやっていけるところで、その分田舎なのだそうです。

ふーん、くやしいですが、そうかもしれないですね。

現場監督

月曜日, 6月 17th, 2013

只今、我が家のマンションが15年目の大規模修繕中です。

15年も経つとあちこち痛んでいるので、大掛かりな足場を組んで、外壁タイルの洗浄やベランダのシート張り替え、ペンキ塗装部分の塗り直し等々、3か月くらいの工期でお色直しを行います。

このための費用は月々の管理費の中で積み立てていたようなので、懐が全く痛まない(気がする)のは有り難いです。

一戸建てだと積み立てなぞしないのが普通なので、修繕が必要な時には慌てますね、きっと。

その点、マンションは管理会社が適当に管理していてくれるので(自分たちの儲けになるからでしょうが)楽です。

ところで実はそういう話ではなくて、現場監督のことです。

この現場監督(現場責任者と呼ばれている)は現場担当者の下の人で、現場担当者の方が若そうな感じです。

つまり、現場担当者は学卒のお兄ちゃん。現場監督はたたき上げのお父さんです。

私の嫌いな軍隊の階級でいうと、前者が少尉、後者が軍曹、という感じですかね。

しかし、この軍曹ができた人で、現場作業者の受けも良さそうですし、温厚で真面目一筋という感じの人です。

今日も工事のために外しておいた網戸を元のレールに嵌めるのに難渋していると、「私がやります」ということで、結構な時間をかけて元通りに嵌めてくれました。

日本の製造現場はおそらく、こういう人の存在で保っているんだろうな、と思うのです。

上にゴマをすることなく、下だけを見て黙々と仕事に励む。

今の一般的風潮からは最も遠い、こういうタイプの人がいなくなった時に、日本はどうなってしまうのでしょうね。

歌舞伎

水曜日, 6月 5th, 2013

NHKに「古典への招待」という番組があります。

落語の時に時々見たりしますが、歌舞伎はあまり見たことがありませんでした。

歌舞伎は今まで二回ほど名古屋御園座で実演を見たことがありますが、昼食休憩があって三時間か四時間ほども見ていると、ちょっと飽きてきましたね。

話が当然のことながら古いし、言葉遣いも古い、テンポも遅い、こりゃひょっとして廃れていく芸術かな(失礼)などと思いました。

しかし、今回の「古典への招待」では、先日新装なった歌舞伎座の開場記念ということで、誰でも知っている有名な演目、「白浪五人男」とか「弁慶」が次から次へと当代一流の役者で演じられたので、流石に見ごたえがありました。

それと副音声で解説が聞けたので、これも芝居の背景が良く理解できて良かったです。

改めて思ったのですが、歌舞伎は総合芸術ですね。

芝居はもちろん、歌あり、鳴り物あり、踊りあり。

これらがすべて、長い伝統と磨きぬかれたワザの上に成り立っている。

目玉演目の連続を見ると、それが良くわかりますね。

私が退屈だと思った普通の演目でも、見る人が見ればすごい伝統わざが駆使されているのでしょうが、残念ながらそこまでは分かりませんでした。

クラシック音楽でもそうで、初めはそれほど心地良くない音楽でも、聞き込むとその深さに引き込まれるものがありますが、歌舞伎もそんなものかもしれません。

食べ物でもそうで、苦味の旨さが解かるのは大人になってから、ということも考えると、歌舞伎の良さが解かってくるのもこれからなんでしょうか。

軍隊

月曜日, 6月 3rd, 2013

橋本大阪市長が軍隊には慰安婦のようなものが必要である、と発言して物議を醸しています。

新聞論調は「言ってはいけないことを言ってしまった」という感じですかね。

確かに基地の周りには歓楽街のあることが多いので、現実を見ればそうじゃないか、という意見もあり得るでしょう。

しかし「言ってはいけないこと」というのは、政治家には、現実を見て開き直るのではなく、未来を、将来をどうするのか、という理想を語ることが求められている、ということなのではないでしょうか。

もっとも今回の発言はもっと次元が低く、歓楽街の女性の境遇に想い至るところが全く無い、という点では、発言者の人間性が疑われる、ということかもしれません。

しかし私はこの問題は、軍隊というものの非人間性を如実に物語るものではないか、と思うのです。

健康な男が、全くの男所帯で、明日の命も分からぬ緊張状態に置かれるのが軍隊であるとするならば、ある種の慰安を求めるのは無理からぬことだと私には思われます。

であるとすると、そのような非人間的な組織「軍隊」は本当に必要なのか、という点をもっと議論すべきなのではないでしょうか。

つまり軍隊にはよほど志操の高い者が集まるべきで、それほどの高い志操を持つ自信の無い私は、ガンジーの非暴力不服従を見習い、軍隊不要論者なのです。